浜崎あゆみさんと言えば、平成の歌姫の1人として有名ですよね。
有名ではあるけれど、浜崎あゆみさんの全盛期って一体いつだろう?と気になる人も多いのではないでしょうか。
そこでこの記事ではこのようなことをご紹介します。
この記事でわかること
・浜崎あゆみさんの全盛期は1999年~2001年頃と言われている
・1999年~2001年頃が全盛期と言われる理由は、CDの売上が尋常ではなかったから。
・浜崎あゆみさんの全盛期はアルバムが400万枚
・浜崎あゆみさんはCD総売上枚数が5000万枚
・2000年に発売されたSEASONS、ℳ 、1999年に発売されたBoys & Girlsが浜崎あゆみさんの全盛期で特に人気の楽曲
浜崎あゆみの全盛期はいつ?
浜崎あゆみさんの全盛期は1999年~2001年と言われています。
なぜその時が全盛期なのか、浜崎あゆみさんのデビュー~全盛期~全盛期以降についてご紹介しながら解説します。
浜崎あゆみさんは1998年に「poker face」でデビューし、同年リリースした3rdシングル「Trust」で初めてオリコンのトップ10入りをしました。
ここからは一気にブレイクをしていきます。
1999年~2001年は1年ごとに詳しくご紹介していきます。
1999年
まず浜崎あゆみさんの全盛期の始まりである1999年からご紹介します。
・1stアルバム『A Song for ××』ミリオンセラー(今見ても衝撃的に可愛いビジュアルですよね)
・7thシングル「LOVE 〜Destiny〜 / LOVE 〜since1999〜」でシングルでも初のオリコンで1位を獲得。
・10thシングル「A(4曲A面)」が浜崎あゆみさんのシングルCD初のミリオンセラーを記録
・2ndアルバム『LOVEppears』はダブルミリオンを記録
(2ndアルバムと同日発売の11thシングル「appears」と共に白肌と黒肌のジャケットが白あゆ、黒あゆとして話題になりましたね)
1年でアルバムを2枚出していたり、シングルCDも7枚リリースしていて、かなり勢いがあったのが分かりますよね。
ちなみに1999年に発売されたシングル曲はこちらです↓↓
WHATEVER
LOVE〜Destiny〜/LOVE〜since 1999〜
TO BE
Boys & Girls
A(「monochrome」、「too late」、「Trauma」、「End roll」の4曲を収録)
appears
kanariya
曲のラインナップを見ただけでも、浜崎あゆみさんの全盛期だというのがわかりますよね。
2000年
続いて2000年の浜崎あゆみさんについてご紹介します。
・4月から6月にかけて絶望三部作と称したシングルを3ヶ月連続でリリース。(vogue、Far away、SEASONS)
(16thシングル「SEASONS」はミリオンセラー)
・3rdアルバム『Duty』は290万枚を記録
・19thシングル「M」ではCREA名義で初めて作曲も手掛け、ミリオンセラー
この年にCD総売上げ200億円を突破していました。
2000年の浜崎あゆみさんもものすごい勢いですよね。
この年リリースされた3か月連続シングルリリース(vogue、Far away、SEASONS)の時が全盛期という印象が強い方も多いのではないでしょうか。
ちなみに2000年にリリースされた浜崎あゆみさんのシングル曲はこちらです↓↓
Fly high
vogue
Far away
SEASONS
SURREAL
AUDIENCE
ℳ
この頃の勢いは本当にすごかったですよね。
10代の女の子は浜崎あゆみさんに憧れて浜崎あゆみさんのようのファッションをまねする人がすごく増え、『女子高生のカリスマ』と呼ばれていましたよね。
当時日焼け肌が主流だったギャルが、浜崎あゆみさんに影響されて肌を焼くのをやめて美白ギャルになる人が一気に増えました。
コーセー『VISÉE』の広告にも起用されて、当時浜崎あゆみさんが使用したグロスは売り切れ続出でした。
2001年
続いて2001年の浜崎あゆみさんについてご紹介します。
・初のベストアルバム『A BEST』 が自身最高の400万枚以上を記録
・4thアルバム『I am...』がダブルミリオンを記録
・初の冠番組(レギュラー及び総合司会)『ayu ready?』がスタート
ベストアルバムが400万枚ってものすごい数字ですよね。
この年にリリースされたシングル曲はこちら↓↓
evolution
NEVER EVER
Endless sorrow
UNITE!
Dearest
evolutionの衣装でつけていたしっぽが流行ったり、浜崎あゆみさんの冠番組が始まったり
影響力があるのがわかりますよね。
ベストアルバムが400万枚以上、4thアルバムがダブルミリオンとアルバムは好調ですが、この年はシングル曲のミリオンはありませんでした。
(evolutionが95.5万枚とかなり惜しかったです)
所属レコード会社エイベックス社のこの時期の売上高・利益の4割は浜崎あゆみさんが稼いでいたと言われています。
2002年以降
2002年以降の浜崎あゆみさんはそれまでのような勢いは少しずつ落ち着いてきていましたが、まだまだ絶大な人気がありました。
2002年は楽曲がタイアップで使われた数が自身最多の14もあったり、
2003年にリリースした31stシングル「No way to say」で史上初のレコード大賞3連覇を達成や
まだまだかなり人気があり、ファンも多くいましたが、CDの売上枚数は以前よりも減ってしまいました。
ただ、この頃は既にCD不況と言われていて、
2002年以降は日本全体でシングル曲のミリオンヒットは1年1回あるか、無いかといった状況でしたので、CDの売上が減ってしまったのは浜崎あゆみさんだけではありませんでした。
全盛期と言われる頃は一気にスターダムに駆け上がって、それ以降は国民的アーティストとして安定して活動されていました。
また、2004年に総合司会を務めていたテレビ番組の『ayu ready?』が終了して、歌手活動に重きを置くようになったので
以前に比べたらメディアでの露出が減ったと思う人も多かったのかもしれません。
浜崎あゆみさんは6thアルバム『MY STORY』がミリオンセラーが自身最後のミリオンとなりました。
浜崎あゆみさんはCD総売上枚数が5000万枚を越えています。
これは、日本の女性ソロアーティストでは歴代1位の記録なんです。
浜崎あゆみの全盛期で人気の曲は?
浜崎あゆみさんの全盛期で人気だった曲をご紹介します。
浜崎あゆみさんが全盛期と言われた1999年~2001年の楽曲で売上が多かったシングル曲を人気の曲としてご紹介します。
A 163.1万枚 (1999年8月11日発売 10thシングル)(「monochrome」、「too late」、「Trauma」、「End roll」の4曲を収録)
SEASONS 136.7万枚(2000年6月7日発売 16thシングル)
ℳ 132万枚(2000年12月13日発売 19thシングル)
Boys & Girls 103.8万枚(1999年7月14日発売 9thシングル)
evolution 95.5万枚(2001年1月31日発売 20thシングル)
Endless sorrow 76.9万枚(2001年5月16日発売 22ndシングル)
vogue 76.8万枚(2000年4月26日発売 14thシングル)
NEVER EVER 75.7万枚(2001年3月7日発売 21stシングル)
Dearest 75万枚(2001年9月27日発売 24thシングル)
1999年~2001年で一番売上げの多かったシングルCDは、1999年に発売された10thシングルの『A』です。
ただ、このシングルCDは「monochrome」、「too late」、「Trauma」、「End roll」の4曲も収録を収録しているので、
他のCDよりも売れやすい条件でした。
そう考えると、その次に売上の多かった2000年に発売されたSEASONS、ℳ 、1999年に発売されたBoys & Girlsが浜崎あゆみさんの全盛期で特に人気の楽曲とも言えます。
また、シングル曲ではなくアルバム曲で言うと全盛期の楽曲で人気なのは下記の3曲です。
1999年に発売された1stアルバム『A Song for ××』では表題曲にもなっている『A Song for ××』
1999年発売の2ndアルバム『LOVEppears』では『Who...』
2000年発売の3rdアルバム『Duty』では『teddy bear』
まとめ:浜崎あゆみの全盛期はいつ?人気の曲やアルバムや売上も紹介!
浜崎あゆみの全盛期はいつ?人気の曲やアルバムや売上についても紹介しました。
浜崎あゆみさんの全盛期は1999年~2001年頃と言われています。
この頃が全盛期と言われる理由としては、やはりCDの売上が尋常ではなかったからだと思います。
シングルCDでもミリオンヒットを出したり、アルバムではミリオン、ダブルミリオンに留まらず400万枚売れたアルバムもありました。
所属しているエイベックス社の当時の売上の40%が浜崎あゆみさんによる売り上げだったので、この時にどれだけ浜崎あゆみさんが売れていたかが分かりますよね。
浜崎あゆみさんの全盛期の楽曲で人気の曲は、売上で見ると
2000年に発売されたSEASONS、ℳ 、1999年に発売されたBoys & Girlsが浜崎あゆみさんの全盛期で特に人気の楽曲とも言えます。